TIMELINE
私とホジキンリンパ腫
WHO I WAS
2015年の夏に大学進学のため、カリフォルニアへ渡米。ごく普通の留学生として、毎日の生活にドキドキしながら過ごす。
SYMPTOMS
2016年の冬頃、留学生活にも少し慣れてきたと思った矢先に色んな症状を感じ始める。そして、学校の保健室でチキンスープを飲めば治るだろうと思い、保健室へ訪問。
DIAGNOSIS
保健師は、症状の1つでもあった首元の腫れをみて、小児病棟へ緊急搬送。到着後すぐに、血液検査、CTスキャン、胸部のX線の検査を行う。 数時間後、医師より「検査の結果より、8割がたあなたの体内にはがんが転移している状態だ」と告げられる。そのまま、着替えを取りに行くことも出来ず、入院。
TREATMENT
癌治療と聞いて、万人思い浮かべるような抗がん剤治療、放射線治療、移植を全てこなす。(写真は放射線治療のために作成されたマスク)
HOSPITAL
診断された当時に19歳だった私は、小児病棟のがん患者の病棟に入院。そこで多くの自分より若い子供たちががんで入院していることを知る。私自身は、最初の1週間は全て英語で書かれた書類にひたすら直面し、サインするのみの日々を過ごす。小児病棟だったせいか、たくさんの精神的なサポートを得られる環境に置かれていた。特にChild Lifeという病院に入院している子供たちを励ます事に献身しているスタッフの方達には感動。写真も病院がディズニーランドに近かったことがあり、たくさんのディスニー関連の行事もあった。
PEOPLE
約2か月の入院生活を終えても、自分の免疫力が弱っていた関係でアパートに帰ることが許されなかった時期があった。ということで、病院の近くにあったロナルドマクドナルドハウスに数週間か宿泊することになった。そこでは、治療のために他の州から来た人たちが無料・もしくは少しのお金で自身の子供たちの治療のサポートに専念できるように宿泊できるようになっていた。そこで出会った人たちはがん患者だけではなく、他の病気で自分が住んでいる州の病院では受けられないほどの治療を受けている人たちがほとんどだった。
EVENTS
病院では毎年たくさんの行事があった。その中でも、病院の目玉の行事の1つがCHOC PROM。アメリカの高校生であれば、本当であればパートナーと参加できる学校行事だが、治療中だとそういった行事に参加できない高校生が多い。そのことから、病院の別病棟をダンスホールに改装して、ドレスも無料で提供されるPROMという行事が毎年夏頃に開催されているのだそう。少しでも治療の苦しみを精神的にやわらげれるように、少しでも“普通”と感じれるようにChild Lifeのスタッフが毎年テーマを考えて開催されている。写真は2016年に参加した時。
SCHOOL
元々、Student ビザで渡米した私には、最高でも1年の休学期間しか与えられなかった。私の場合、治療開始から半年以内にパートタイムで復学。でも、真夏の暑いカリフォルニアに毛糸の帽子を被ってキャンパスに戻った時の周りの反応は少し辛かった部分もあった。
JOURNALISM
治療中にたくさんの自身より若いがん患者に出会う機会があった。その事に驚いた私は、復学後ジャーナリズムを専攻することに決め、学校新聞のクラスに参加。そこで、キャンパス上でも何人かガンと闘う人たちに出会い、記事を書いたりしていた。
GRADUATION
2017年12月に治療を終えたこともあり、2018年の春学期で卒業することが決定。今まで生きてきた中で一番達成感を感じた。
RETURN TO HOME
2018年7月には、故郷の大阪に戻る。知り合いの小児がんと闘う子供たちを支える団体が大阪のパナソニックの工場でボランティアが必要とのことで自分のがんの事も話す機会を頂く。